桐生明治館:群馬県桐生市
「この牡丹のキャピタル本で見たことある!」と思い調べたら、本には
「前橋医学校(明治11,大木親,林盛安)」(※藤森照信著 日本の近代建築(上)より抜粋)
とあり、「そっくりなのに違うんだ」と思ったら、元々群馬県衛生所兼医学校として建てられたものを、昭和3年に相生村役場として今の場所へ移築したとのこと。
門扉門柱などは当時の写真を元に復元らしいが、パンフレットにある当時の写真を見ると、もっと巨大だった様だ。
更に気づいたのだが、創建当初つまり明治期の写真で既に建築写真の基本は確立されていた様だ。
建物中心よりズレた位置から撮っているにも関わらず上下左右のパースは修正されている。
今でも大判のカメラは光の軸をずらしてパースを修正する事ができるのだが、当時既に2軸ともアオれるカメラがあったのだろうか?